大津市にお墓がある!松尾芭蕉も敬愛した~木曽義仲~とはどんな人物だったのか
2022/01/16
今年も大河ドラマが始まりました。
私は、大好きな三谷幸喜さんの脚本ということで、とても楽しみに観ています。
時は平安時代末期。
武士として初めて政治のトップに立った平清盛や、「いい国つくろう鎌倉幕府」で有名な源頼朝が活躍する時代です。
ドラマの主人公は、源頼朝を支え、鎌倉幕府2代執権となる北条義時。
・・と聞いても、北条義時がどんな人で何をしたのか、正直よく知りません。
なので今回は、鎌倉・北条氏の執権政治を知る絶好のチャンスでもあり、期待もひとしおです。
ところで皆様は「平清盛」と聞いて、どんな人物を思い浮かべるでしょうか。
「平家にあらずんば人にあらず」から、思い上がった傲慢な人。
政略結婚をうまく使って、平家一族で権力を独占したやり手。
大河ドラマファンなら、松山ケンイチさん、はたまた渡哲也さんのお顔が浮かぶでしょうか。
では「源頼朝」はどんな人だったでしょう。「源義経」は。
私の中の平清盛像は、~栄華を極めたものの、心にむなしさを抱え、平家一族の行く末が不安でいっぱいの老人~です。
初めて平氏や源氏に触れたのが、小学生の頃に読んだ手塚治虫の漫画『火の鳥~乱世編~』だったため、
その時代の人物像は『火の鳥』のイメージに沿ったものになりました。
源頼朝は~源氏の再興を目指す堂々と凛々しい武士だったが、弟・義経に対する疑心暗鬼を募らせるにつれ次第に邪悪な顔つきになり、火の鳥への欲に取り憑かれていく男~。
義経は~顔も頭も運動神経も良いけれど極端に自己中心的で、自分に逆らうものは仲間でも殺す冷酷な若者~。
本当はどんな人だったかはもちろん分からないのですが、本やドラマによって新たな一面や、思いがけない事情を知ると、
それまで持っていた人物像に深みが加わり、より親しみが湧きますね。
さてお話は変わりますが、当社のすぐ近くに「義仲寺」というお寺があり、
そこには木曽義仲、彼の側室の巴御前(ともえごぜん)、そして俳人の松尾芭蕉のお墓があります。
木曽義仲は、頼朝・義経兄弟の従兄弟にあたる源氏の武士です。
頼朝と同時期に活躍し、平家打倒に大きく貢献したのですが、最後はその実力を警戒した頼朝によって逆賊とされ、粟津の地で殺されてしまいます。
巴御前は、女武者として義仲と共に最後まで戦い、義仲が殺されると亡骸をこの地に葬り供養しました。
そして俳人・松尾芭蕉。
芭蕉にとって義仲は、自分より約500年前に生きた「歴史上の人物」ですが、義仲の生きざまに深く感銘を受けたそうです。
(ちなみに現在の私たちにとって500年前は室町時代後期。前々回の大河ドラマ、明智光秀の「麒麟が来る」よりほんの少し前の時代です。)
芭蕉はたびたびこの義仲寺に滞在しました。ついには「骸は木曽塚に送るべし」と遺言し、のちに希望通り、義仲の墓の隣に葬られました。
松尾芭蕉が「死後は隣に」と願うほど敬愛した木曽義仲とは、一体どれほどの人物だったのでしょう。
一般的には、~乱暴者で、民家に火を放つなどした野蛮な武士~といったマイナスイメージが強い木曽義仲。
歴史的に敗者となってしまったせいか、頼朝・義経らと比べると知名度も高くありません。
『火の鳥』の義仲もまた、武骨で荒っぽい髭モジャで、都の空気が肌に合わず、戦場では残虐なこともします。
一方、愛する巴御前にはとても優しく、彼女に火の鳥の生き血を飲ませるため無理を押して奮闘する、一途な側面もありました。
芭蕉は義仲のどこに惚れ込んだのでしょう。
今回の大河ドラマで義仲は主人公の敵にあたるため、登場は多くないかもしれませんが、
義仲がどんな人物として描かれるのかにも注目して、楽しみに観ていきたいです。